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地震・津波被災地に行ってきました

2011年05月31日 16:41 | コメント/トラックバック (0)

東北4県の被災地を巡り、被災の深刻さを実感しました

5月25日~27日まで東日本大震災被災地の福島県、山形県、岩手県、宮城県を旅してきました。
もっと早く支援を含めて被災地に行くべきでしたが、かえって足手まといになることを恐れ、震災から2カ月半後の訪問となりました。
4日間で1500kmの自動車運転の旅でした。

5月25日に松本を北陸に向け出発し、新潟県から磐越道を経由して喜多方市、次いで山形市に向かい1泊。
喜多方市は漸く地震も収まり、放射能汚染も無くなっていましたが、蔵の街、ラーメンの美味い喜多方市への観光客は激減したようです。
街の経済は大きく打撃を受けています。
山形市も同様に観光客や湯治客は激減し、上山温泉は一時休業を余儀なくされているようです。

翌日、山形市から岩手県の一関へ。
藤原三代の墓所金色堂が世界遺産に選ばれ、地震の大打撃が緩和されたとはいえ、地震による建屋の被害は甚大です。
ノニ茶製造を委託している(株)精茶百年本舗は、3月11日の地震から復旧した1か月後4月の地震で壊滅状態でした。
博物館のような建物は基礎から梁まで損壊し、解体を余儀なくされていました。

一関から石巻に入り、漁港に特徴的な潮と魚の匂いに交じり、言葉に表せない異臭が漂っているように感じました。
当に津波による大災害の爪痕のみならず、いまだなお瓦礫が片付けられていない状態です。
多くの災害救援者が瓦礫を片付けていましたが、砂埃が激しくマスクなくして被災現場は歩けません。
街から離れた小さな漁港を訪れました。
岸壁の傍の建物は総て流され、小さな扇状地に30~50軒あったと思われる家屋は無残に流され、倒壊していました。
何人の方が犠牲になられたのか。

ガソリンスタンドに流れついて家屋、石巻市

小さな港町、壊滅状態、石巻市

石巻市の太平洋側を釜石方面に下り、途中いくつもの津波に襲われた地域を見て回りました。
決壊した防波堤、基礎だけが残った住居跡、田畑に片付けられていない車や漂流物が散在し、運ばれてきた砂が積っていました。

大地震のの地、怒涛のごとく押し寄せる波の恐怖を何万~何十万人の方が身ぶるいして経験したことか。
地震の激しさは通過した高速道路の波打ちや傾いた電柱の補修からも想像できた。

自衛隊の災害派遣車、各県の警察の車、NPO団体などの支援のあり様も確認できました。
釜石に1泊し、よく27日には出来るだけ太平洋に面した道路を走り、津波が宮城、福島、茨城県をも襲った様子を目にすることが出来ました。
被災地の早い復旧のみならず、前にも増した復興を祈念するとともに、犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

福島第一原発の近くには当然行けません。
大震災を悪化させている要因は原発事故であり、原子炉の冷却、放射能高汚染水の処理、原子炉閉鎖、汚染土壌の除去が速やかに行われることにより、今回の東北大震災は決着しない。

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